水の豆知識

いつから水道ってあるの?

男の子
スイドウマン、昔の人は、水をどうやって手に入れてたの?
水道マン
沖縄の人々のくらしは、大昔から水との戦いだったともいえるんだ。
昔の人は、まず雨を集めることを考えたんだよ。
庭の木にワラなどをしばり、そこから伝わる雨水や、屋根にふった雨水などを「水がめ」に集めて使っていたんだ。
男の子
えー、何かきたないような気もするけど…
水道マン
そうだね。雨水は「天水(てんすい)」といって大切に使われたんだけど、ボウフラが発生しやすいため、カになやまされたんだ。また、カにさされると、おそろしいマラリヤになることもあったらしいよ。
男の子
こわ~い
国頭村(くにがみそん)の山

国頭村(くにがみそん)の山

宜野湾ヒャーカーガー

宜野湾ヒャーカーガー

昔のカデシガー(糸満市)

昔のカデシガー(糸満市)

水道マン
雨水ばかりではなくて、川やわき水も利用されたよ。井戸(いど)もたくさんほられたんだ。わき水や井戸(いど)のことを、沖縄では「カー」と言うんだよ。
カーや川から水をくむのは、お母さんや子どもの仕事だったんだ。
昔の子どもは、よく手伝いをさせられたんだよ。
男の子
え~、どうせボクは遊んでますよーだ。
水道マン
アハハハ。
せんたく機もなかったから、せんたく物があると女の人たちは水のある所へ持って行き、手足を使ってあらっていたんだよ。

 明治時代から昭和の初めごろ、那覇(なは)では「水売船(みずうりぶね)」という船が、飲み水を売りにきました。1933(昭和8)年に水道が引かれるまで、井戸(いど)が少なく水不足になることが多かった那覇(なは)では、山下町にある「落平樋川(ウティンダヒージャー)」の水を売りに来る船を利用していたといいます。この船は那覇(なは)の名物でもあり、琉歌(りゅうか)にもよまれるほどでした。

水道マン
1945(昭和20)年には沖縄戦が終わったんだ。それから、だんだん世の中が落ち着きはじめると、水道もよみがえったんだよ。
戦後の水道事業

戦後の水道事業

 1958(昭和33)年には、米国民せい府によって琉球水道公社がつくられ、水道も整えられるようになりました。
 ところが、1963(昭和38)年は、雨がいつもの年の半分にも足りないほどだったため、大変な“かんばつ”におそわれました。

 それは、今まで米をつくっていた農家を、サトウキビづくりに切りかえさせるきっかけともなったほどで、そのため、この年から沖縄では急速に水田がへってしまいました。
 しかし、1972(昭和47)年、沖縄が本土にふっ帰してからは、国によるダムの開発が進み、水不足はだんだん少なくなっていきました。雨の少なかった1981(昭和56)年には記録的なだん水が起こったものの、1994(平成6)年4月からは一度もだん水はありません。
 げんざいの沖縄では、99.9パーセントに水道が引かれるほどになっています。

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